デリーで自らに火をつけ亡くなったチベット人青年の話。

どのくらいの人が知っているのか、日本ではどのくらいの報道がなされているのか知らないけれど、現在チベット本土では中国政府への抗議の焼身自殺が後を絶ちません。
そして今年3月、インドのニューデリー市内でも同じようにして亡くなった青年がいます。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">ナショナル・ジオグラフィックのサイトで彼のストーリーが掲載されていたので、翻訳し、 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">かなり長い文章だったのでいろいろ削って読みやすくしてみました。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">
< style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">彼の普段の生活が分かる内容になっており、報道だけでは知らなかった個人の像がクリアにイメージできます。また、実際に火をつけて駆け抜けている写真(フランスの報道社のBest of Picture 2012にも選ばれたそう)だけ見ると、ある意味「極端な」人物に見えるのだけれど、コレを読む限り、本当に普通のその辺にいる若者だったんだな、と。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">
< style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">かなり文章削りましたが結構長いです。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">興味のある方は読んでいただけると幸いです。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">
< style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">
過去2年の間に80人以上のチベット人が中国政府への抗議を表明するため焼身自殺を図っております。
今回は今年3月26日にデリーにて自らに火をつけ亡くなった27歳の青年、ジャンペルイェシのストーリーです。
ジャンペル イェシが自らに火をつけることを決意した時、彼は北デリーにあるチベタン難民居住区「マジュヌカティラ」に住んでいました。1963年に出来たこのコロニーには現在4000人ほどの人が住んでいるといわれています。
ジャンペル イェシ、友達からはジャシと呼ばれていた彼は、ここで他の4人のチベット人の男性と一緒にワンルームの部屋に住んでいました。月90ドル(約5000Rs)の窓のない部屋は奥に入るとボロボロのカーテンで寝場所が区切られています。ジャシのマットレスは今でも部屋の隅に置かれ、壁にはダライラマや他の僧達のポスターが貼られていました。小さな棚にはまだたくさんの読みこまれた仏教やチベット政治、歴史などのジャシの本が残っています。彼の小さなスーツケースに詰まった荷物も置かれたままです。
前日の夜、チベット難民政府が置かれるダラムサラから2人の友人が訪れており、和やかな雰囲気でチベット料理、テントゥクを作って一緒に食べたそうです。会話の話題は中国の国家主席、胡
錦濤のインド訪問について。また、それに伴う次の日のデリーで行われるデモについて。会話の最中、彼はシャツを脱いで腕のドラゴンのタトゥーを見せ付けたりして冗談を言い合っていたそうです。
当日、デモに向かうジャシがお寺の前を通り過ぎる頃、見かけた友人がこの暑い時期になぜ長袖シャツを着ているのか彼に尋ねました。彼の背中になびくチベット国旗を見て「スーパーマン!」などと言ってジョークを交わしたそうです。
バスに乗り込むと、同じく集会に向かう友人の女性、ドルマと2歳の息子が同乗していました。
誰もが去年の3月からあいつぐ焼身自殺について、またこのデリーで行われるデモにおいても誰かがそうするのでは、などと話し合っていました。ドルマが彼のバックパックを叩いて「もしかしてガソリンでも入ってるの?まさか自分もやる気?」などと冗談を言うと彼は笑っていたそうです。
振り返ってみれば、彼の友人は彼が焼身自殺を試みる事が以前からあったことを明かしました。
2008年の事、ジャシはガソリンを購入し自身に火をつける決意がある事を誓いました。彼のイトコや友人はその時彼を説得し、生き続ければチベットのためにより多くの事ができるのだからと言ってあきらめさせたそうです。
デモに向かう同じバスに乗っていたドルマも同じく、彼の不自然な点に気が付いていました。
ジャシがバスの中で、持っていたペットボトルの中に少しだけ残っていたコーラをドルマの息子に飲ませました。
ドルマが空になったペットボトルを窓の外から投げようとすると(インドではゴミのポイ捨てが普通)ジャシがそれを止めました。ドルマはこういう時なので彼が誠実であろうとしているのだと思い、あまり気にとめなかったようです。
ただ、今にして思えばこのペットボトルがガソリンを入れるための物だったのか。また、彼は財布を持ってくるのを忘れたので200Rs貸して欲しいとドルマに頼み、小銭が無かったので彼女は500Rsを彼に渡したそうです。
彼はガソリンを買う為にこの時お金を借りたのでしょうか?ジャシはバスの中で笑顔で会話をし、ドルマの息子と遊び、何も変わりない様子で、その時はドルマはこんな事が起こるとは微塵にも思わなかったようです。
バスは目的地に到着。3000人ほどのチベット人がデモに参加しました。
デモ隊がジャンタルマンタル(デリー中心部にある天文台。よく様々なデモがここで行われている)に到着した頃、
ジャシはゲートをすり抜け自らにガソリンをかけ火をともし駆け抜けました。
一番最初にチベット人がこのように焼身自殺を図ったのは1998年の事。
ジャシと同じ場所で起こり、ダライラマ法王がこの時彼の入院代を払い病院に入れたそうです。
この約10年後、2009年の2月より再び焼身自殺による抗議が度々起こるようになり、80人以上の僧や一般市民のチベット人が命を落としています。
こういった自殺者が相次ぐ状況に対して、ダライラマ法王は「中立」の立場でみています。
最初の自殺者が出た15年ほど前、彼は「自らに火をともす事は本人を傷つけるばかりでなく他者への暴力と同じエネルギーを持つ、他者を殺す事に等しい」というようなことを語ったようですが、現在はほとんど口を閉ざしております。
そして今年の6月には新聞社のインタビューにこう答えております。
「もし自分が何か否定的な発言をこういった状況に言うと、自殺した人の家族達は非常に悲しむと思う。彼らは自身の命を犠牲にした、これは簡単な事ではない。だからこそ、自分は彼らが間違っているというような表現はしたくない」
ジャシが病院に搬送されたのは午後12:45分、最後に口にした言葉は「なぜ自分を病院に連れてきたの?」
病院から部屋に戻った友人が、ジャシの荷物の中からチベット語で書かれた手記を見つけました。
「自由が無ければ、6万人のチベット人は行き場を見失い風にさらされているバターランプの火に等しい」
「私たちの最終目的地に向かっていっせいに動き出す時だ」
「もしあなたがお金を持っているなら、今がそれを使うとき、もしあなたが十分な教育を受けたなら、今が結果を生み出す時。もしあなたが自身の人生を自由に左右できるのなら。私はその人生をささげる時が来たのだと思う」
文章は「世界中の人々」が「チベットの為に立ち上がって」(Stand up for Tibet)くれるように,といったような言葉で締めくくられていました。
今まで公式に発表されて来なかった2つの散文のような物も発見されています。
1つは母親への感謝の意。「夢の中でさえ、度々母を見る事がある。誰も私たちの愛を分かれさせる事はできない」
2つ目は「方向を見失った少年」というタイトルで始まります。
「私が愛する母のお腹から生まれたとき、私は既に外国の支配におかれており、基本的な人間の権限や思想の自由というものを失った状態だった。これにより私は祖国を離れインドに亡命してこなければならなかった。
私は今デリーの小さな部屋で暮らしている。朝起きて、東の空を眺めると、涙が止まらなくなる。...」
ジャシは病院に搬送されてから43時間後に息を引き取りました。 < style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;">
< style="font-family: Verdana, 'qMmpS Pro W3', 'Hiragino Kaku Gothic Pro', CI, Meiryo, 'lr oSVbN', Osaka, Arial, Helvetica, sans-serif; font-size: 12px;"> インド ブログランキングはコチラから。
Comment
うんうん・・・。日本では彼のこと報道されたのかな?
にしても、これ全部自分で翻訳したの!?
すごいねぇぇぇぇぇ!!!!!
記事を翻訳したんですか。良い記事記事だなあ。
チョコショット星人>リュウタジーにもほめられただよ。全部翻訳した後、編集して出来る限り短くし。気づいたらナショナルジオグラフィック日本版サイトに翻訳記事出てた。涙。
reds>どもです。