◆映画ラモツォの亡命ノート観てきました。夫が中国で逮捕されたチベット難民女性のドキュメンタリー
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埼玉生まれインド育ち辛めのカレー好きそうなやつは大体ともだち。
月星座:双子座。太陽星座:蠍座。
息子溺愛。インドで出会った夫はチベット人。
星を読んだりカレー食ったり絵を描いたり宇宙に意識飛ばしながら頑張って生きてる文筆家。
星の地図「ホロスコープチャート」は天が与えた1人1人の生命や運命の縮図。そんな神聖な図を読み解きながら、皆様の背中を全力プッシュする事が使命です。
先日、ポレポレ東中野で映画ラモツォの亡命ノートを観てきました。
映画ラモツォの亡命ノートの主人公はチベット人女性ラモツォさん。
ラモツォさんは夫のドゥンドゥップ・ワンチェン氏が2008年に中国政府に政治犯として逮捕された後、インドのダラムサラに子どもたちと共に亡命してきたチベタン難民。
2009年から2014年までのラモツォさんの日常を追ったドキュメンタリー映画です。
映画ラモツォの亡命ノートの概要
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ドキュメンタリー映画
ラモツォの亡命ノートの舞台はインド、ダラムサラと現在ラモツォさんが家族と暮らすアメリカのサンフランシスコ。
ドキュメンタリー映画ではありますがナレーションはなく、ラモツォさんが自分でカメラを回して撮ったビデオ日記の語りと日常を切り取った映像により、ラモツォさん自身の生活ぶりや環境、感情の変化を伺う事ができます。
余計な脚色や起伏をつけずに淡々とした印象を受ける映像なので、観る人によって視点や印象は変わるかも。
チベット人の生活とかあまり知らない人は、ラモツォさんのようなチベット人難民の生活そのものが興味深い対称として見えると思うし、
チベット文化にどっぷりな人やラディカルな人は、こうして中国がチベット人に対して行っていることやチベット難民の現状が映像化されたことそのものに感慨深いものを感じるだろうし。
しかし、チベットという国が置かれている現状を全く知らない人(そもそもそんな人はこの映画を観ない様な気がするけど)は事前勉強していかないとちょっと理解しづらいかも。
映画ラモツォの亡命ノートの個人的感想まとめ
映画ラモツォの亡命ノートの中で、ラモツォさんがインドのダラムサラでパレと呼ばれるチベットのパンを作って売っています。
私もダラムサラではよく道端のおばちゃんからパレを買ってたので懐かしい。
巨大な発酵種を一気にこねて巨大な鉄板の上で一気に焼いてて。こうやって作ってるんだーと感心。
ちなみに、ダラムサラにいる時に毎朝買ってたパレはこれ↓ 揚げパレと焼きパレがあります。

あとね、この映画の中でも際立っているのが、ラモツォをはじめとするチベット人女性の強さ。
そしてチベット人男のお気楽っぷり?
ていうか、チベット人はみんな女性が出来過ぎなの。働き者だし、しっかりしてるし、文句も言わずに子どもと夫と家族の面倒見るし。
だからチベット人男性はみんなノホホンとお気楽な人間になってしまうのではなかろうか。
夫のドゥンドゥップ・ワン・チェン氏は釈放された今も中国に監視されており、チベットの故郷の村を離れることもできず、ラモツォさんも直接会うことができていないそうな。
映画ラモツォの亡命ノートは2017年12月1日までポレポレ東中野で上映中です。
ついでに最後に一言
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この映画の直接の感想では無いのですが、こういうチベットにまつわる映画などの作品を観る度に思うのです。
いまだに日本(海外もかな?)では、チベット人は清らかで純粋で中国から虐げられてるかわいそうな人々といった印象でとらえられているんだよね。
あ、今回のラモツォの亡命ノートやその他のドキュメンタリー映画をディスっているわけではありませんのであしからず。
単純にチベット人の旦那がいる身としては、日本における「チベット人は清らかで純粋でかわいそうな人々」というイメージにちょっと違和感を感じるというだけで。
物事には常に二元性があるかと思います。チベット人にだって笑えるくらいのゲスなエピソードがたくさんあるし、そういう清濁でいうなら「濁」、聖俗でいうなら「俗」の面を、「チベット人は清らかで純粋でかわいそうな人々」だから、海外のメディアはあえて見せないし見ようとしないフシがあるような気がして。
人は物事の「清」と「聖」の部分に感銘を受け、「濁」と「俗」の部分に共感を覚えるじゃないですか。
美しく清らかな面ばかりが紹介されているような現状に、ちょっとしたモヤモヤは常に感じてます。
※これは映画そのものの感想ではなく、ちょうど最近思ってた個人的な所感です。